HOME > Chief's Voice > クラッチマガジン裏話 part1 men'sfile との出逢い1

Chief's Voice

編集長ブログ

2017.06.25

クラッチマガジン裏話 part1 men'sfile との出逢い1

CLUTCH MAG ウェブログ Books&Magazine

クラッチマガジンを立ち上げてから、5年が過ぎた。あまり語ってこなかった出版の裏話を少しずつ。


海外のファッションイベントなどで、よく顔を合わせていたフォトグラファーのニック-クレメンツ。彼は英国のmen's file誌の編集長でもあり、私なんかよりもよく知られた男だった。

顔を合わせると「何か一緒にやろう!」っていつも声をかけてくれるのだが、その「何か」にはピンと来ていなかった。

2013年初夏。ニック-クレメンツから一本のメールが届いた。

ニックと一緒にmen's fileを作っている日本人がいるから、彼と会って欲しいと。

 

私は、ベルリンで行われたイベント出展の帰り道、ロンドンに立ち寄った。ベルリンには日本への直行便は飛んでいない。だから、必ず、ヨーロッパのハブ空港で、トランジットする必要がある。普段なら、スターアライアンス派の私は、フランクフルトを経由するのだが、この時は、ロンドンを経由することに。目的は2つ。第1は友人である画家のコンラッド-リーチが展覧会をやっているので、そこに顔を出すこと。第2にニックの使者で、ロンドン在住の日本人に合うことだった。

 

ロンドンに到着した日の夕方、テムズ川沿いのスターバックスでカフェモカを買って、初夏の風にあたった。それから、ニックの使者という男とホテルで待ち合わせして、夕食の席についた。

 

:ニック-クレメンツがクラッチマガジンと一緒に、何かできないかって言ってます。

:何かって何ですか? イベント?

:うーん、具体的には何も。

:何かって言われても困りますよ。いつも、ニックは私に何かやろうって言うけど、社交辞令だと思ってたんです。

:ニックにそう伝えておきます。とりあえず、keep in touchってことで。

:ニックとは、ずっとkeep in touch のつもりでしたけどね。同業者だから、それ以上の付き合いはしにくいんですよ。日本の記事も多いじゃないですか、men's fileって------

 

そんな会話をしたと思う。

なんだか、発展性のないミーティングだったけど、生ハムが美味しかったから、まあいいか。みたいな感じでホテルに戻った。

 

翌日、ロンドン市内のアートスクールで開催されているコンラッド-リーチのアート展覧会に行った。昼どきだったので、アートスクールの中庭の芝生で、コンラッドと売店で買ったサンドイッチを食べていると、ロイヤルエンフィールドに乗ったニック-クレメンツが通りかかった。ニックもコンラッドの展覧会にやって来たのだ。

 

私は、2、3、言葉を交わし、前日の晩に彼の使者と会ったことを伝えた。

 

クラッチマガジンとmen's fileが何かコラボレーションできたら、面白いだろという話をここでも言い始めた。横にいたコンラッドもそれはエキサイティングだね、と話を盛り上げる。私は、その「何か」が相変わらず見つかっていないので、愛想笑いをするしかない。そして、手元のツナサンドばかり見つめていた。

すると、ニックが本心を吐露し始める。始めてのことだ。

自分の本業はフォトグラファーであり、雑誌の編集者だと。しかし、雑誌を出版するにあたっては、誌面の製作以外にもやらなければいけないことが多すぎる。広告の営業、作った雑誌の販路拡大、プロモーションなどなど。出版には、表には見えにくい様々な仕事をしなければならない。

そして、日本での販路拡大にも力を入れたいのだと。しかし、一方で、編集作業に集中したいという思いも強い。men's fileはニックと、タカ(前述の日本人)、フォトグラファーのマット、そして、グラフィックデザイナーのダン、時々フリーランスのフォトグラファーに仕事を依頼することはあっても、基本はその4人だけ。編集作業以外はニックとタカが手分けをして行っていた。年4回の出版、それを年6回にしようとも考えていたようだが、現実は厳しく、ちょうどそのシーズンは予定していた出版が流れてしまった時だった。

そして、我々クラッチマガジンと組むことで、もう少し組織的、且つ定期的な出版活動を可能にしたいと思うようになっていたのだ。彼のファンが日本で増えることも期待していたようだ。

 

我々クラッチマガジンは、世界戦略という夢を掲げて20122月にスタートした。

欧米のファッショントレードショーに出展して、雑誌を販売するという、前代未聞の活動を続けることで、徐々に海外での知名度を高めている最中だった。数々の人気ファッションブランドのブースが並ぶ中、日本の雑誌が同じようにブースを並べているというのは、異様な光景だったかもしれない。しかし、ファッションブランドはライバルに囲まれているが、我々にライバルはいなかった。これが、フランクフルトやロンドンのブックフェアだったらどうだろう。多士済々の世界の出版社に並んでも、我々はOne of themでしかない。来場者の多くは書店バイヤーや出版ブローカーたち。埋もれてしまうに違いない。世界最大のフランクフルトブックフェアを訪れた時、感じたことだ。しかし、当時、世界最大級のファッショントレードショーだった、Bread and ButterPitti Uomo では、感触が違った。出展する前に視察した時、会場には既に私の顔と名前を知っている人が何人もいた。新しい雑誌のことは知らなかったが、興味を持ってくれる人も多い。ミーティング用のテーブルに、自分が作った雑誌をわざと置き去りにした。次に来る人が手に取るかどうかを見たかったのだ。最初の人から反応は良かった。日本語の本にもかかわらず、じっくり眺めている姿が嬉しかった。さらに、我々の置き去りにした雑誌をパラパラっと見て、そのまま持ち去ってくれる人も少なくなかった。

私は、出展を決めた。絶対にうまくやれると確信した。

 

敵のいないフィールドで、我々クラッチマガジンブースはいつも盛況だった。ベルリン、パリ、ニューヨーク、トレードショーのシーズンには世界中を行脚した。トレードショーから海外のショップへ。クラッチマガジンの名はどんどん広まっていった。

 

創刊当初、海外で販売しているっていうけど、どこで売ってるの?という声をしばしば聞くことがあった。力不足を痛感した。しかし、時を経て、行く店行く店でクラッチマガジンを目にするよって、言ってもらえるようになっていった。

 

そうこうしてる時に、顔見知りになったのが、各地のイベント会場に取材で来ていたニック-クレメンツだった。

つづく

  • facebook
  • twitter

このページのTOPへ